東京地方裁判所 平成7年(ワ)5744号 判決 1997年12月17日
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
船戸実
同
中城重光
被告
乙山二郎
右訴訟代理人弁護士
堀内昭三
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告は原告に対し二〇〇〇万円及びこれに対する平成四年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、国立大学の助教授である原告が、教授であった被告に対し、被告の原告に対する業務禁止命令は、被告の権限外の行為であること、所定の手続に則っていないこと及び何ら正当な理由に基づかないものであることなどの理由により違法であって、原告は右命令によって精神的損害を蒙ったなどと主張し、不法行為に基づき、慰藉料二〇〇〇万円の支払を求めた事案である(遅延損害金の始期は不法行為の後の日である。)。
一 争いのない事実等(証拠を掲記しない事実は当事者間に争いがない。)
1 筑波大学臨床医学系及び同大学附属病院の組織等について
(一) 国立大学である筑波大学は、いわゆる学部制及び講座制とは異なる、学群及び学系制度を採用している。従来の講座制は、専攻領域の教授を中心とした縦系列の研究教育組織であって、その閉鎖性、人事の封建性等が問題視されてきたことから、筑波大学においては、総合性、自主性に重点を置いた研究教育組織として、学群(教育目的上の組織)及び学系(研究上の目的に応じ、かつ、教育上の必要性を考慮した組織)制度が採用された。
(二) 筑波大学附属病院には、歯科口腔外科等の一五の診療科が存し、同病院規則によれば、各診療科の診療業務は臨床医学の専門分野に応じた診療グループを編成して行われるべきものとされている。診療グループは、病院長の命を受け当該診療グループの診療業務を掌理するものとされる診療グループ長のほか、病院長が病院における診療を認めた教員により編成されている。なお、病院における医員及び医員(研修医)はレジデントと称され、レジデントは、右診療グループに属して診療業務に従事するものとされている(甲第七号証)。
診療グループを構成する教授及び助教授らの主要な業務は、診療業務(入院患者及び外来患者の手術及び回診等)、診療グループに属するレジデントの指導業務及び臨床医学系の研究者としての臨床経験に基づく研究業務である。
(三) 歯科口腔外科には、右診療グループとして歯・口腔診療グループが存し、これは事実上、①口腔外科系診療グループ(以下「グループ①」という。)、②補綴・保存系診療グループ(以下「グループ②」という。)及び③保険センターグループに分れている(甲第一二号証)。
2 当事者等
(一) 原告は、昭和五三年六月一日から現在まで筑波大学臨床医学系助教授であり、かつ、同大学附属病院歯科口腔外科の歯・口腔診療グループに属する者である。原告の専門分野は、口腔外科学である。
被告は、昭和五三年一二月から平成四年三月三一日まで同大学臨床医学系教授であった者であり、かつ、同大学附属病院歯科口腔外科の歯・口腔診療グループに属し、昭和五四年四月から平成四年三月三一日まで歯科口腔外科長及び歯・口腔診療グループ長であった者である。被告の専門分野は、歯科補綴学である。
(二) 歯・口腔診療グループは、昭和六三年八月当時、原告、福田広志講師及び鬼澤浩司郎助手(以下三名はグループ①)並びに被告及び舟久保太講師(以上二名はグループ②)で構成され、また、五名のレジデントが属していた(弁論の全趣旨)
3 手術等禁止命令
(一) 原告は、昭和六三年八月九日患者に対し右側顎下部ガマ腫の摘出手術を行ったが、右手術に関し、患者との間でトラブルが発生した。
(二) 被告は、右のようなトラブルが発生したことなどから、同年九月七日原告に対し、「歯科口腔外科診療科長、歯・口腔診療グループ長、教授」名により、期間を定めず、入院及び外来の手術の禁止並びに回診及びレジデントの指導の禁止を命じた(以下「本件命令」という。)。本件命令は、命令内容等が記載された書面(甲第一号証)を筑波大学内にある原告のメールボックスに封書で投入する方法で発出された。
(三) その後、被告は、平成四年三月三一日原告に対し、本件命令を撤回する旨を、文書(甲第五号証)を右メールボックスに投入する方法で伝えた。
(四) 原告は、本件命令が発出されてから撤回されるまでの間、これに従った。
二 主要な争点及びこれに関する当事者の主張
1 本件命令発出行為が、「公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて」なされたもの(国賠法一条一項)といえるか。
(一) 被告の主張
本件命令発出行為は、強制的契機を含むものである以上、「公権力の行使」というべきである。
また、本件命令発出行為は、被告の職務権限に属する事項についてなされたものであること、原告の独断的な業務態度に照らし適切な措置であったことなどからすると、被告の職務執行行為というべきである。
(二) 原告の主張
講座制を採らない筑波大学においては教授・助教授が上命下服の関係にないこと及び被告はグループ①の統括者である原告の診断や治療内容に関し容喙できないとの慣行が存在したことなどからすると、被告は本件命令の発出権限を有しないものというべきであること、本件命令は、原告の業務の大部分を禁止する重大なものであるにもかかわらず、大学ないし病院内における公的な手続(病院長を委員長とする運営委員会の審議を経るなど)を何ら履践することなく発出されていること、発出・撤回の方法及び時期などからみて、本件命令は全く恣意的、個人的なものというべきであること、本件命令の内容からみても被告個人の一方的な考え方でなされているというべきであることなどからすると、本件命令発出行為は被告の私的な行為とみるべきものであって、これを「公権力の行使」とも被告の職務執行行為ともいうことはできない。
2 公務員個人の不法行為責任の成否
(一) 原告の主張
仮に、本件が、公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについて他人に損害を加えた場合に当たるものというべきであっても、当該公務員に故意又は重過失が存するときには公務員個人は免責されないものと解される。
被告は、本件命令を発出するに際し、それが原告にとって重大な結果をもたらすこと及び適正な手続を履践すべきことを十分に知り、又はわずかの注意によりこれを知り得べきであったにもかかわらず、これを考慮せずに本件命令を発出した以上、被告には、故意又は重過失が存するものというべきである。
したがって、被告は不法行為責任を免れない。
(二) 被告の主張
(1) 公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについて他人に損害を加えた場合、公務員個人に不法行為責任は成立しない。
(2) 仮に、公務員に故意又は重過失が存するときには個人は免責されないとしても、被告に故意又は重過失は存しない。
3 消滅時効の成否
(一) 被告の主張
原告は、平成四年二月三日弁護士萩野谷興に対し、本件命令の法的根拠を明らかにすることなどを求める文書を被告に送付すべきことを依頼した。とすれば、原告は、同日「損害及ヒ加害者」(民法七二四条)を知ったといえ、同日から三年間が経過した。
そこで、被告は、平成八年五月八日の本件口頭弁論期日において、右消滅時効を援用する旨の意思表示をした。
(二) 原告の主張
本件における被告の不法行為は、本件命令の発出から撤回に至るまで継続する一個の不法行為と見るべきものであるから、消滅時効の起算日は、命令が撤回された日の翌日である平成四年四月一日であるというべきである。
したがって、被告が主張する消滅時効は成立していない。
第三 争点に対する判断
一 争点1について
前記争いのない事実等のとおり、①原告及び被告は国家公務員であって、筑波大学附属病院内における原告及び被告の職務ないし業務はその国家公務員たる地位に基づいて遂行されているものというべきであること、②本件命令が歯・口腔診療グループ長名で発出されたものであり、被告が診療グループの診療業務を掌理すべき地位にあったことからすれば、原告の歯・口腔診療グループ内における業務を制限する本件命令の発出が被告の職務内容と全く関連性が無いものとは到底いえないこと、③原告が本件命令に従ったことからすれば、本件命令が強制的契機を含み、職務上の命令としての性格を帯有していたものと認められること、以上の事情に加え、④被告に本件命令の発出権限が存したか否か、本件命令が内容及び手続において適切妥当なものであったか否かは、職務執行の違法性ないし故意・過失の問題と解されること、⑤職務執行性の有無は、客観的に職務執行の外形を備えているか否かによって決すべきであることから、本件命令が公的な手続を何ら履践することなく発出されているとの原告の主張並びに本件命令の発出・撤回の方法及び時期などを考慮しても、これを被告の職務執行と離れた私的な行為とみることはできないこと、以上の点を併せ考えれば、本件命令の発出行為は、「公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて」なされたものというべきである。
したがって、争点1に関する原告の主張は理由がない。
二 争点2について
公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについて他人に損害を加えた場合であっても、当該公務員に故意又は重過失が存するときには公務員個人は免責されない、との原告の主張は採用できない。
よって、この点に関する原告の主張はその前提を欠く。
三 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がない。
(裁判長裁判官土肥章大 裁判官小野洋一 裁判官馬渡直史)